黒谷和紙

黒谷和紙についてAbout Kurotani-Washi

黒谷和紙とは

黒谷和紙は京都府綾部市黒谷町・八代町と、その周辺地域で作られた紙です。

良質な楮(こうぞ)を原材料として、職人により「手漉き」(てすき)で、
一枚一枚が丁寧に作られます。
黒谷和紙は丈夫で強く、長持ちするのが特長です。
大正時代には政府から日本一強い紙として認められ、乾パンを入れる袋としても重用されました。

強くて破れにくく、長期保存にも適した和紙

黒谷和紙はとても丈夫で、力を入れても破れにくい特長があります。
強靱な和紙は日常生活の中に欠かせないものとして、古くから提灯、和傘、障子、包装などに活用されてきました。
また、京の都に近い産地であったことから、京呉服に関連した値札、渋紙、たとう紙など、京都の伝統産業を支える存在でもありました。

長期の保存にも耐えられることから、1994年(平成6年)に世界遺産として登録された元離宮二条城(京都市)の障子など、文化財にも使用されてきました。

伝統の「手漉き」の技法を守る

良質の楮(こうぞ)を原料として、原料の処理から加工までのほとんどの工程を手作業で行うことにより、黒谷和紙は丈夫な紙となります。
特に紙漉きの工程は「手漉き」(てすき)にこだわり、職人の手で一枚一枚、しっかりと漉き上げています。
全国的には安価でスピーディな「機械漉き」が進みましたが、黒谷では豊かな自然と清流の中で、機械化とは対極にある希少で素朴な和紙を育み続けています。
1983年(昭和58年)には、その技法が京都府指定無形文化財に指定されました。

様々な場所で使われる黒谷和紙

黒谷和紙は古くから提灯紙や傘紙、障子紙等、生活に密着した紙として使われていますが、
その他にも様々な用途で使われています。

  • 文化財や伝統的行事に

    1994年(平成6年)に世界遺産として登録された元離宮二条城(京都市)の障子や、天理教本部(奈良県天理市)の提灯などに使われてきました。
    また、染色家 吉岡更紗氏によって染められた和紙製の作り花(椿)は、国宝・東大寺二月堂(奈良市)で毎年2月に行われる「お水取り」の行事に使用されています。

    染司よしおか様 プロジェクト紹介ページ

  • 芸術作品・アートに

    日本国内では、宮本竹逕(書家)。
    海外では、ジャスパー・ジョーンズ(アメリカ・画家)など、有名な方々に使用いただいています。
    また、ルーブル美術館をはじめとする海外の美術館などでは修復用紙としても使われてきました。
    2009年(平成21年)には、皇室から海外に送られるクリスマスカードとして使われました。

  • 世界で最も美しい本

    黒谷和紙は1970年代(昭和40年代中頃)には既に海外で知られていました。
    1970年(昭和45年)に作られた「紙すき村 黒谷」(中村 元 著)という本が1972年(昭和47年)にドイツで開催された世界の図書展で「世界で最も美しい本」としてグランプリを獲得したのがきっかけです。
    この本はすべて和紙を使い、作業工程等の挿絵は金山ちづ子さんが一枚一枚手で型染めしたものを使用し、手作りの本として250部が発行されました。

    世界で最も美しい本 プロジェクト紹介ページ

黒谷和紙の種類

黒谷和紙には黒谷紙(くろたにがみ)、黒谷生漉紙(くろたにきずきがみ)、黒谷手すき紙(くろたにてすきがみ)の3種類があります。

  • 黒谷紙(京都府指定無形文化財黒谷和紙)

    京都産楮のみを原料とし煮熟には木灰またはソーダ灰を使用。
    天日にて乾燥。

  • 黒谷生漉紙

    国産楮、国産三椏(みつまた)を原料とし、煮熟には木灰またはソーダ灰を使用。
    天日または火力にて乾燥。

  • 黒谷手すき紙

    楮、三椏、麻を原料とし、煮熟にはソーダ灰または苛性ソーダを使用。
    天日または火力にて乾燥。

  • 認証スタンプについて

    京都産楮、もしくは国産の楮・三椏を原料として作られた和紙にのみ、黒谷和紙の品質とブランドを証明するものとして、認証スタンプを押しています。
    このスタンプには、黒谷の職人が800年以上もの時をかけ、積み上げて来た伝統に基づく、本物の和紙を届けていくことへの強い想いが込められています。

黒谷和紙が出来るまで

黒谷和紙は主に楮を使用して和紙を作ります。
黒谷では昔から楮のことを「かご」とよび工程のなかにも「かご〇〇」とよばれる作業がいくつかあります。

  • 01.

    楮作り(かごつくり)

    楮は畑で育てます。
    春には楮の株から新芽が出て1年をかけて2~3mの長さにまで成長します。
    草刈りや芽かき(脇から出る芽や枝を選定する作業)をしながら、楮が1本の木になるように手をかけて育てていきます。

  • 02.

    楮切り(かごきり)

    冬になり、葉の落ちた楮を鎌やのこぎりで刈り取っていきます。

  • 03.

    楮小切り(かごこきり)

    刈り取った楮を、こしき(樽のような入れ物)や蒸し器に入る長さに裁断します。

  • 04.

    楮蒸し(かごむし)

    楮を「こしき」(樽のような入れ物)に入る長さにカットし中に詰め、お釜にかぶせて3時間ほど蒸します。

  • 05.

    楮へぎ(かごへぎ)

    蒸しあがった楮の木から、皮を1本ずつ剥いでいきます。
    楮へぎが終わった皮は乾燥して保存します。これを黒皮とよびます。

  • 06.

    楮もみ(かごもみ)

    乾燥した黒皮を川に一晩ほど浸け、大きな表皮を取り、皮をやわらかくするために足で黒皮をもみます。

  • 07.

    かごそろえ

    黒皮に残っている表皮と傷を包丁で一本ずつとり除きます。
    かごそろえが終わった皮は乾燥して保存します。これを黒谷では白皮とよびます。

  • 08.

    煮こしらえ

    白皮を一晩ほど水に浸けます。

  • 09.

    楮煮

    白皮をアルカリ性の熱湯で約1時間半から2時間ほど煮ます。

  • 10.

    楮みだし

    やわらかく煮上がった白皮を水にさらし、あくをとりながら白皮に残っている傷やゴミを手でとっていきます。

  • 11.

    紙たたき(叩解)

    楮みだし作業が終わった白皮を、餅をつくようにして約1時間叩いて細かい繊維状になるまでほぐしていきます。
    細かくほぐれた白皮を紙素(しそ)とよびます。

  • 12.

    さなてぎ

    トロロアオイという植物の根っこを叩きます。叩いたトロロアオイを水につけると粘液が出ます。これをネリ(黒谷ではさな)とよびます。紙漉きをする時にこの粘液を漉き舟に入れて使用します。

  • 13.

    紙漉き

    紙素(しそ)と水とネリをあわせ、簀桁(すげた)という道具を使って紙を漉いていきます。

  • 14.

    乾燥

    漉いた紙をしぼり、水気を切った紙を一枚ずつめくり板に刷毛で貼り付けて乾燥していきます。

  • 15.

    納品

    乾燥した和紙は職人によって一枚ずつ検品、選別されたのち、組合に納品されます。

  • 16.

    和紙製品

    一部の紙や染や裁断し、製品に加工します。ステーショナリーや名刺入れ等様々な和紙製品があります。

  • オンラインショップはこちらから

黒谷和紙の歩み

川のせせらぎと共に紡がれて来た黒谷の記憶

紙すきの里、黒谷。
この地の歴史は古く、遡ること800年以上も前に平家の落武者らが移り住み、
生活の糧として、紙すきを始めたことをきっかけとして、この地の記憶は刻まれ始めたと伝えられています。

周囲を山々に囲まれ、その山あいを縫うようにして流れる清流・黒谷川の谷間に
ひっそりと寄り添うように佇む黒谷の地。
平地が少なく、冬には厳しい寒さに包まれるこの地は、農業には不向きである一方、
紙作りの地としてふさわしい条件を兼ね備えていました。

そうした環境が必然的に、この地に住む人々の暮らしを支えるすべとして、
紙作りを発展させてゆくことになりました。

紙と共にはじまり、紙と共に歩んできた黒谷。
この地に住まう人々にとって、紙作りこそが暮らしの全てでもありました。

幾重もの時を経て、様々な時代の移り変わりを乗り越えながらも、
紙作りの伝統を途絶えさせることなく、今に残すことが出来たのは、
ひとえに黒谷の人々の紙作りに対する、暮らしに根差したまっすぐな想いに
支えられていたからだと私たちは考えています。

遥か遠い昔から変わることなく、この地で奏でられ続けてきた
黒谷川の美しいせせらぎと紙すきの音色は、長い時を越え、
今なお黒谷の人々の心を穏やかに包み込んでいます。

1950-1960s冬景|紙干場

1200年頃
平家の落武者らが都から逃れ来て黒谷の地に隠れ里をつくる
1700年(元禄10年)
黒谷、元禄の大火に見舞われる
1710年(正徳元年)
山家藩主・谷出羽守氏が家臣に命じて江戸で紙を販売させる
1855年(安政 6年)
京呉服に適した紙の技術を修得する
1892年(明治25年)
組合設立
1895年(明治28年)
土佐より大西勝四郎を招き土佐漉き技術を学ぶ。これにより大判の紙漉きが可能となり、生産量が増大
1898年(明治31年)
紙類合資会社設立
1908年(明治41年)
黒谷製紙販売購買組合(法人組合)設立
1917年(大正 6年)
政府に「日本一強い紙」として認められ、携帯食の乾パン入れ用袋として使われはじめる
大正~昭和初期
養蚕業の発展に伴い、繭袋、産卵卵、絹糸の包装紙を生産
1943年(昭和18年)
東八田産業組合 組合出張所となる
1948年(昭和23年)
東八田農業協同組合 黒谷支所となる
昭和中期
サンドペーパー用台紙、ハトメ紙(荷札用)などの産業用紙として使用される
1965年(昭和40年)
産業用紙の低迷により、民芸紙の開発を開始
1968年(昭和43年)
綾部市農業協同組合 和紙事業部となる
1983年(昭和58年)
京都府指定無形文化財に指定
1996年(平成 8年)
現 黒谷和紙協同組合設立
2006年(平成18年)
黒谷和紙工芸の里オープン(綾部市十倉名畑町/旧口上林小学校跡)
2017年(平成29年)
黒谷和紙が地域団体商標に登録される
2021年(令和 3年)
ショールームが完成

黒谷地区と紙づくり

豊かな自然と人々の記憶が息づく和紙

美しい山々の稜線に囲まれ、一歩谷に入れば、別世界のような静けさに包まれる黒谷の地。
四季を通じて、豊かな自然に恵まれ、村の中心を流れる黒谷川は、
初夏には蛍が美しい光を水に映し出し、紙漉き場の周囲を回遊しながら、
季節の知らせを私たちに届けてくれます。

そうした自然の恵みとは対照的に、谷あいに位置するこの土地は、
平地が少なく、厳しい冬の寒さを併せ持っていたため、農業には不向きで、
人々はこの地の自然を受け入れるように、紙づくりの仕事を生業としてきました。

この土地の風土に耳を傾け、自然に導かれるようにして始まった黒谷の紙づくり。
今もなお黒谷では、往時の人々の姿のままに、職人の手によって、
手作業で一枚一枚紙をすき、村の谷間にわずかな時間差し込む太陽の光を生かし、
紙を乾かし、仕上げていきます。

そして、乾いた紙を剥がし、干場一面に並んでいた板が姿を消す頃、
夕暮れと共に黒谷の一日は、ゆっくりと過ぎてゆきます。

幾百年も繰り返され、重ねられて来た黒谷の風景。
そうした情景を重ねながら、かたち作られる和紙の中には、
積み重ねられて来た、数多くの無名の人々の記憶と
変わることのない黒谷の美しい自然が静かに息づいています。

私たちの想い

本物の黒谷紙を暮らしの中に

正直な紙を作ること。
そして、本物の手漉き和紙を京都・黒谷の地から多くの人々の暮らしの中に届けてゆくこと。

長い歴史の中で、私たちはいつも変わることなく、その思いを大切にして来ました。
一枚一枚手作業で、想いを込めて紙を漉き、仕上げてゆく。
当たり前のことを丁寧に、一歩一歩、歩みを重ねてゆくこと。

その姿勢は、今も、そしてこれからも、決して変わることはありません。
いつの時代も、正直であること、本物であることに妥協なくこだわり続けて来た、
そんな私たちがこれからの未来を見据え、届けてゆきたい
もう一つの本物があります。

それは、本物の「黒谷紙」を暮らしの中に届けていくこと。
「黒谷紙」とは、京都府内で育てられた楮を使い、作られる手漉き和紙。

近年の和紙作りの現場では、紙の原材料となる「楮」を価格や生産量の観点から、
国内外の様々な産地から仕入れることが当たり前になっています。

もちろんそれは、和紙を多くの人々の暮らしの中に届けていくためには大切なこと。
その上で、そうした仕事を大切にしながらも、もう一度原点に立ち返りたいと。

黒谷の自然に耳を澄まし、この地域で育まれる原材料を使い、
手漉きの和紙を作ることを、より深く大切にするために。

そうすることでこそ、本当の意味で受け継がれて来た「紙漉き」の伝統や想いを
途絶えさせることなく、未来へと繋いでいくことが出来ると。

私たちは、そう信じています。

日本人の心が宿り、そこに途方もない人々の想いが映し出されて来た和紙を
100年先の人々の暮らしの中に届けていくために、
私たちは今、これからの未来に向けて歩み始めています。